寛平(かんぴょう、かんびょう、かんぺい、かんべい)は
日本の元号の一つ。仁和の後、昌泰の前。889年から898年までの期間を指す。この時代の天皇は宇多天皇、醍醐天皇。寛平の治(かんぴょうのち)は、平安時代中期(9世紀後期)の宇多天皇の治世を理想視した呼称。寛平は宇多天皇の治世の元号である。宇多天皇は、891年(寛平3年)の関白藤原基経の死後摂関を置かず、源能有を事実上の首班として藤原時平と菅原道真、平季長等の近臣を重用し各種政治改革を行った。近年の研究では、従来から言われていた894年(寛平6年)の遣唐使廃止や896年(寛平8年)の造籍、私営田抑制、滝口の武士の設置等に加え、国司に一国内の租税納入を請け負わせる国司請負や、位田等からの俸給給付等を民部省を通さずに各国で行う等、国司の権限を強化する改革を次々と行ったとされている。また、天皇親政が行われた治世と評価されたが、摂関不設置は阿衡の紛議に懲りた宇多天皇が皇族を母とする藤原氏腹でない天皇であったことと、藤原氏長者時平がまだ若かったことが原因とされている。